1991年に貿易会社として有限会社アイシン商事を設立
夏廣民の語った経験
私は中国留学を終えて帰国後、貿易会社へ就職しました。後に物流会社や通関業者へと転職しました。1980年代終わりから1990年代初頭の世界情勢は、東欧諸国の社会主義体制が次々と崩れ民主主義体制へと代わっていく時代でした。そのような時代背景もあり、妻が東欧出身でしたので、東欧の親戚から「自由にビジネスが出来る時代になったから商売をしてみないか」と勧められました。
そこで私と妻はまず事務デスクを一つ、ファクシミリとカセットレコーダー付き電話機そしてタイプライターも買い、「有限会社アイシン商事」を立ち上げました。1991年3月8日金曜日でした。しかし設立手続きを手伝ってくれた司法書士さんも私も経理と会計の知識が乏しく、僅か3週間余りで3月末を迎え第一期目の決算が来てしまいました。
東欧の親戚から寄せられる情報を元に、関連会社へ家電やら中古自動車の見積書を出しまくりました。因みに世界の交通事情において、英国圏以外は大体が右側通行であり自動車も当然左側ハンドルとなります。しかし、当時ソ連や東欧諸国では右側ハンドルの日本車が大変好まれ、日本からたくさんの中古車が入っていました。
しかし私が出した見積書は一件も成約できませんでした。そんな時、以前勤めていた貿易会社を思い出しました。その会社で私は某オートバイメーカーを担当させて頂いておりました。それで、東欧向けにスクーターバイクを輸出するのはどうかなと思い見積書を送ってみました。東欧ではまださほどこの種類のスクーターバイクは走っていないだろうと思われたからです。結果、初ヒットとなりました。日本では壊れかかった中古のスクーターバイクも、現地のエンジニアによって見事に再生され、東欧で走ることになったのです。
その後徐々に輸出量は増えていきました。最盛期には月間40フィートコンテナ8本、約960台のスクーターバイクを輸出するまでに至りました。しかしその後、日本の大手バイクショップが中古市場に参入し、弊社は別の活路を探さねばならなくなりました。安定的で、ルーチン作業ができる業務はないかと思案しました。
高性能グリスフィルターに出会う
そんな時、友人の紹介で高性能グリスフィルターメーカーの社長とお会いする機会を頂けました。このグリスフィルターとの出会いが現在におけるアイシン商事のスタートとなったのです。1993年のことでした。
私の実家は横浜中華街で飲食店を経営していましたので、私自身も厨房の劣悪な環境を体験していました。ですから、この高性能グリスフィルターは必ずダクトの汚れを大幅に軽減できる、厨房環境改善の一手になると確信しておりました。それで私は自分の出身地でもある中華街で、先輩たちが経営している料理店にこの高性能グリスフィルターを是非使って頂きたいと熱烈に思い、最初の一軒に飛び込みました。
私は、お店のレンジフードフィルター4枚全てを高性能グリスフィルターに交換してほしいと提案しましたが、その一軒目の先輩からは同意が頂けませんでした。しかしなんとか頼み込んで、まずは2枚だけ1ヶ月テストして頂ける事になりました。ところが1週間後、先輩から連絡が入り、4枚全部のリース契約と、1ヶ月1回サイクルのメンテナンス契約を結ぶ事ができたのです。
弊社にとってこの店舗が旗艦店となりました。そこから紹介の輪が広がり、あの店でも使っているならばうちも、という流れで中華街の幾つかの有名店でこの高性能グリスフィルターを使って頂ける事ができました。さらに中華街の先輩方から、厨房の清掃もできないかと相談されました。そこから弊社のメイン事業である厨房清掃業務が始まりました。当初私たちは電動工具の存在すら知らず、古典的なドライバー1本だけで作業していたため、厨房機材を解体する際に力ずくでネジを回しておりました。それでも清掃の仕上げは好評価を頂けました。
厨房・ダクト清掃の業務が始まる
そんな折、環境衛生マネジメント大手の日本カルミック株式会社が、高性能グリスフィルターレンタルのビジネスを拡大するため、グリスフィルターの定期メンテナンスと厨房清掃を一緒にできる業者を探していました。1994年1月の休み明け一番、弊社はカルミック社と商談の機会を頂き、以来カルミック社とお取引きをさせて頂いております。
当初、グリスフィルターのメンテナンス枚数が1日あたり十数枚だけでしたので弊社の資金繰りはキツイ時期でした。厨房・ダクト清掃の第一号案件は東京大崎にある某電機メーカー工場の食堂でした。余談ですが、確か当時流行っていたパスポートサイズのハンディカムカメラがこの工場で製造されていたそうです。(かなりいい加減な記憶です。)
グリスフィルターのメンテナンス枚数は徐々に増え、幾つかのメンテナンスコースに編成されていきました。横浜高島屋、新宿高島屋、池袋パルコ、渋谷東急文化村、銀座三愛ビル、羽田空港ビッグバード等から定期メンテナンスの案件を頂きました。また、全国チェーンの某ファミリーレストランからも厨房・排気ダクト・ファン設備の一斉清掃案件を頂きました。その仙台店のグリスフィルターメンテナンスにも毎月横浜から突貫で行っておりました。
関西営業所および川口テクニカルセンターの立ち上げ
某ファミリーレストランの清掃案件には、関西地区でのグリスフィルターメンテナンス業務も含まれていました。それで関西にも拠点が必要となり、スタッフの人脈を頼り、関西出身であった篠矢和伸氏のご厚意で、彼のご実家ガレージにグリスフィルターや清掃機材、事務デスクを置かせて頂きました。1999年7月、これが関西営業所の始まりです。初代の関西営業所所長は村井和貴氏、2代目は川村義人氏が務めてくださいました。現在では横田純一所長と森谷諭氏が管理者となりスタッフを取りまとめております。
横田純一現所長
川村義人前所長
篠矢和伸氏
テクニカルセンター
小西邦弘所長
関西営業所設立と同時期に、グリスフィルターの洗浄とメンテナンスコースの管理業務を、横浜本社からカルミック社が賃貸する埼玉県川口テクニカルセンターに移管することになりました。川口テクニカルセンター立ち上げ時から現在に至るまで、小西邦弘所長が管理責任者を務めてくださっています。
大勢のスタッフに支えられて
芝崎淳部長
酒井信之課長
川口テクニカルセンターの拠点整備にあたり、酒井信之課長が給排水工事を担当しました。これを機にカルミック社より給排水設備工事の案件も定期的に頂けることになり、2000年7月、設備課を立ち上げました。設備課はその後も発展し、現在は技術部となり、芝崎淳技術部部長が設備工事案件の全体管理を行なっております。
本社所在地も、1991年の設立時には横浜市中区本牧町にありましたが、その後1998年5月に横浜市中区山下町、そして2000年7月に現在の港北区新吉田東へと移って参りました。三沢利幸統括部長が横浜本社・関西営業所および川口テクニカルセンターの3拠点の統括管理を行なっております。
また人員計画や資材購入を担当してくださっている業務課高橋敦氏、作業報告書の作成だけでなく総務・保険・役所対応などバックヤードで弊社を支えてくださっている総務課小嶋貴康課長、雁瀬敏彦氏、佐藤せつ子氏のご尽力にも感謝致します。
佐藤せつ子氏
雁瀬敏彦氏
小島貴康課長
高橋敦氏
営業部の村山禎部長と大隈巌課長の貢献にも感謝しております。また、弊社ITシステムを管理している松坂文吾室長にも感謝申し上げます。
松坂文吾室長
大隈巌課長
村山禎部長
こうして弊社は、大勢のスタッフ(社員、協力業者様)より貴重な働きを賜り、今日まで邁進する事ができました。有限会社アイシン商事としましてはこれに甘んじる事なく、皆様とこれからも協力し合って、より一層お客様へ高品質なサービスを提供したいと願っております。弊社の業務が社会貢献に寄与していること、またそれによって得られる自信と満足感をこれからも皆様と共に味わって参りたいと願っております。どうか今後共何卒宜しくお願い申し上げます。深く御礼申し上げます。
有限会社アイシン商事は設立から30年を迎えました への1件のコメント